2019.10.16
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単純な善悪逆転劇にとどまらない、バットマンの本質に迫る名作!

『バットマン:ホワイトナイト』

「善と悪が入れ替わってしまったら、どうなってしまうのか?」

長年にわたってヒーローとビランの戦いを描き続けてきたアメコミの歴史において、こうした「善悪逆転劇」は決して珍しいものではありません。パラレルワールド的な展開や、強大な影響力のある未知のパワーによって、あるいはビランに張り巡らされた策略によって、善悪が入れ替わりヒーローとビランの本質が問われるという試みは何度となく行われてきました。
そういう意味では、本作『バットマン:ホワイトナイト』も、ゴッサムシティを守ってきたバットマンとその宿敵である最狂のビラン・ジョーカーの立場を逆転させる「善悪逆転劇」となっています。しかし、本作は単なる「善悪逆転劇」に終わらないことが最大の特徴だと言えるでしょう。

正気へと戻ったジョーカーの選択は…

物語は、悪事を働き、逃走するジョーカーをバットマンが追いかけるというお馴染みのシチュエーションから始まります。いつも通りバットマンを挑発し逃げるジョーカー。一方バットマンは、いつも以上に怒りを露わにして、ジョーカーを執拗に追いかけます。追い詰められたジョーカーは、バットマン対してその行動や心理の本質を問いかけ、「このゴッサムの最大のビランはおまえだ」という言葉を浴びせるのでした。ジョーカーが逃げ込んだ先は、未認可の新薬が置かれた施設。ジョーカーはその新薬を飲むことで正気を取り戻し、バットマンがゴッサムにとっての本当の悪だと証明することができると語ります。怒りに駆られたバットマンはその新薬を、ゴードン警部をはじめとした警察、そして仲間であるバットガール、ナイトウイングたちが見守る中で、ジョーカーの口いっぱいに押し込んでしまいます。
バットマンの一連の行動は録画されており、メディアを通じて世間へと広まり、明らかにやり過ぎであるという批判が集まります。一方で、薬による昏睡から目を覚ましたジョーカーは正気を取り戻します。紳士然とした態度となったジョーカーは、自分を「ジョーカー」ではなく「ジャック・ネイピア」と呼ぶように言い、ダークナイト=バットマンの違法性を問う白い騎士=ホワイトナイトとなってゴッサムを守ると宣言するのでした。
正義の側に立ったジョーカーと悪人として追われるバットマン。
善悪が逆転してしまったその戦いの行方は果たしてどんな結末を迎えるのでしょうか?

バットマンとジョーカーの二人に共通するもの、二人を分けるものは何なのか

本作は、超常的な力やパラレルワールドというギミックを使わずに、見事にバットマンとジョーカーの立場を逆転させています。読み進めるほど、その精緻に組み上げられた展開のすばらしさに驚かされるはずです。自警者としてのバットマンは、普段は自らを「善」と見なして行動しているわけですが、それは社会的な常識を当てはめるとに本当に正しい行為と言えるのか?
その問題は、これまでのバットマン関連作品に触れる時、モヤモヤと脳裏に浮かびつつも、答えが出ていなかった疑問のひとつでもあります。そうした「バットマンの正義」を正面から問う展開は、思わず息を飲むはずです。そして、その物語は、ゴッサムシティにとってのバットマンの存在、そしてバットマンの本質とは何かを問い直すものであると同時に、バットマンの悪しき鏡像であるジョーカーについても、同じようにその本質を捉え直すものともなるのです。
現代アメリカの政治状況をも反映させた本作は、「善と悪」や「愛と憎悪」など表裏一体の対概念を描き、そしてちょっとしたきっかけさえあれば、それらの表裏は簡単に逆転してしまうという恐ろしさにリアリティを持たせました。

ストーリーと作画の両方を担当したのは、1980年生まれのショーン・マーフィー。細部まで描き込まれたアートと巧妙なストーリーが絶妙な形で融合し、物語の世界へと深く引き込んでくれます。表裏一体の善悪が逆転した物語はどのような終わりを迎えるのか? バットマンの本質を改めて考えさせられる至極の物語をその目で確かめてみてください。

文・石井誠(ライター)

『バットマン:ホワイトナイト』

  [著者] ショーン・マーフィー
  [訳者] 秋友克也
  [レーベル] DC
  本体2,700円+税/B5/232P
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